3月は、就活のストレスで生活が崩れ、振り返る気力がなかった。
自分はつくづく就活に向いていないと思ったのだが、なんとか持ち直した。この記事で3月と4月まとめて振り返る。
3,4月の振り返り
5月どう過ごすか
ボロボロになりながら、なんとか進んだ
手持ちもそもそも少ない中、コロナの影響で窓口が少なくなり、不必要の烙印を押され、スキル不足を痛感し、不安な日々の中でも、なんとか光を見出すことができた。
頑張った、という言葉はさいきんどうやらあまり賞賛されないらしいが、自分の中で頑張ったことを認めたい。
不得意なフィールドの中、鬱蒼とした気持ちで応募をしたり面接したり。楽しんで取り組もうとも思っていたが、デフォルトの気分はディサポイントが多かった。
特に、最終面接で落とされたあの一社から、本当に苦労したと思う。けど、そこでさ、本当に大事な友達とかさ、そういうのを感じれたし、偶然の出会いがあってさ、そこで「あの時落ちてよかった」と思える就活にしようと強く思えた。
苦労するタイプなんだよ自分は。そう思えた。だから、苦労を楽しんでこうぜ。これからも。
知的好奇心がドーパミンを出してドライブする
4月の終わり。コロナで自宅にいることが多くなり、どうしようもなく旅をしたくなり、本屋に出かけた。
そこで、久々の感覚。
知的好奇心に覆われて、ありとあらゆるものに興味が湧いた。そんな興味が、自分を遠くに連れて行きたい気持ちとほとんどイコールなのだと思う。
崩れていた自分のマインドが整地されたようだった。
もっと、本を読みたい。もっと、いろんなことを知りたい。
そのために、日常を整える。
そういう感覚だったと思う。
事前の解像度が実行の質を左右する
事前の対象への解像度が、実行の質を左右する。これは、1日の設計を行う上で気づいた。
事前にどんな1日するか。それは1日が始まってからじゃ遅くて、その1日が始まる前日に、どういう1日にするのか。それを考えておく。
これは1日という単位ではなく、例えば1ヶ月というところでも当てはまる。
それが4月に関しては薄かった。今思い返すと今年の1,2月の解像度は十分に高めた段階で望んだ。
3月の最大のMは、やはり就活だろう。不規則に降りかかり、結果のフィードバックもない。また、心理的ストレスも高く、自分には向いていなかった。
それを4月にようやくひと段落つけることができた。5月から、言い訳なしに、かけねなしに解像度を高めてのぞむ
ほつれは連鎖する
日常には、ほつれを生じさせるトラップが多くある。
ユーチューブ、ツイッター、Amazonプライム、インスタグラムなどなど。
こうした、欲望を書き立て、繰り返し消費ししてしまう物の怖さは、その場限りでなく、その後も続くことである。
この欲望に善処する方法を、自分は知らない。
時間で区切るのは、本当に難しい。1日一時間と区切っても、欲望は一時間で治らないことが往々にしてある。
逆に、終わるタイミングは、やばいんじゃないかという焦りか、脳のドーパミンが出切った状態。
それは、時間軸が加わって生じるもので、意志でどうにもならなかったりする。
就業したらどうなんだろうか。アウトプットの時間という概念がなくなる気がする。
コーダーとしての成熟
デザイナとして就職する中で、良くも悪くも、今の自分はコーダーとして成長しきっているんじゃないかと、そう思うようになった。
これからは、コーディングもできるデザイナーとして、成長していく、そう意思決定するタイミングではないか。
そう思うようになった。
だからこそ、今まで以上にデザイン力の向上に目を光らせる必要がある。
今考えているのは、ペーパープロトタイピングと、UI&アプリ観察。目を養い、言語化し、手を動かし、伝わるようにする。そういった能力を高める。それが必要ではないかと思う。
しょせまるとか、ひのふさがやっているような発信を積み重ねて、言語化していく。
これまでに挑戦していなかったこと。なんやかんやで一月とか二月はポートフォリオの作成とかで可処分時間を割いてたし、三月四月は就活が主だった。
五月は、そうじゃない。デザイナとしての飛躍。その感覚を掴むタイミング。
崩れたと言える2ヶ月だったけど、その中で自己肯定感を持ち続けれたのは、くすくの存在
崩れた2ヶ月だった。だけど、それでも自分が自分として存在していてもいい。そういう風に思えたのは3にんのくすくちゃんの存在だ。
誰かに求められる。しかも、男として。そういう自覚があったから、自分がいま正気を保ってられるのかもしれない。
これは、1年間の積み重ねの証、報酬。
辛い時期もあったけど、それでも継続した。その積み重ね、時間軸が今の自分をそうさせている。
これからも、コロナ鍋が終わったら、全力で続けたい。これ30になった時、とんでもないことになるぞ〜〜〜。それだけは胸を貼ってそうだと言える。
脳・心理学・デザイン・文化人類学に興味があることがわかった
デザインとか心理学とか、文化人類学とか。どれも独立した学問だと思ってたけど、違う。人間を取り扱う学問。それが上記で挙げたジャンル。
だから、興味があるんだ。人間を取り扱わない分野ってのは程度によりがないと思う。だけど、そういう意味では数学とか、地理とか、そういうのは興味がないかなぁ。だけど、人間の軌跡としての地理とかは好きだけど。
今の段階では、人間と、そのインタフェース、そして全体的な視点。それが脳・心理学・デザイン・文化人類学か。
だから、クリエイティビティ的な話は苦手なのかな。美学的な。
今年入って初めての消火があった
これはちょうど三月の終わりと記憶している。最終日。の日記にはクソみてえな一日、と書かれてあった。
思えば今年に入って初かもしれない。
そこまで火が消えきったのは。
だからこそ、1,2月を客観しできた部分もある。あの感覚を作り出す。当たり前のストーリー、自制。
UXの解像度が劇的に上がった
UXの解像度が上がった。要因としては、Udemyの動画と、ビル◯ーチのデザイン課題。
デザインするっていうのは、思っている以上にアイディアが大事だ。これは、デザインを学問として捉えていると設計が大事だ、と考えてしまうけれど、設計も大事だしその設計をカタチにするところがもっと大事だ、と気づいた。
で、UXは体験のことで、体験を作っていく。そういうことをまとめてまるっと作れるようになる。
アウトプットの型ができた
アウトプットの型ができた。ツイートにツリー状に並べていくもの。あれを、読まれる形にすれば、良いループができそう。そこを改善していく。
アプリ考察とペーパプロトをサブスキルセットとして進めてゆこう。
五月の終わり、どうなっていたいか
2ヶ月ぶりのフリヘンになった。だけどそれが、絶望的な崩れかというと全くそうではないと思う。
むしろ、このほつれに気づいて、改めて結び直した今。五月の使い方が大事になる。
そして、五月に関しては、2つしかない。
もう一度、ストーリーへの意志を持った日常×フルスイング。
これのみ。とやかく考えず、五月三十日、三十一日のフリヘンの時間に、やりきったと思えるくらいに。
ひいては内定をもらうために。
とにかくフルスイングを行う。土日も空いている時間も全て、会社の発展のために。
そういう気概で生きてみる。
逃げないとだけ、決める
逃げないとだけ、決めよう。絶対に、逃げない。
修羅が待ってる。修羅に飛び込む。そういう勝負。だけど、神は乗り越えられない”修羅”は与えないんだ。
必ず乗り越えよう。結果を出そう。
俺なら、大丈夫だ。