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2020年2月1日〜7日。タイ旅行記④

タイ旅行記

2020年2月1日〜7日。タイ旅行記① - SHORTCAT

2020年2月1日〜7日。タイ旅行記② - SHORTCAT

2020年2月1日〜7日。タイ旅行記③ - SHORTCAT

2020年2月1日〜7日。タイ旅行記④ - SHORTCAT

2020年2月1日〜7日。タイ旅行記⑤ - SHORTCAT

2020年2月1日〜7日。タイ旅行記⑥ - SHORTCAT

2020年2月1日〜7日。タイ旅行記感想まとめ - SHORTCAT

 

 

3日目。アユタヤに行き、遺跡と像を堪能。

そして、出会いもあった。

 

3日目-アユタヤへ-

アユタヤとは、1400年頃に栄えたタイの都市。

1767年、ミャンマーに攻撃を受け滅んだと言われている。

 

栄枯盛衰。盛者必衰。

そんな言葉がぴったりだと思った。

当初は民衆の信仰心を高め一丸となることを目的に現在遺跡となっているアユタヤ一帯が建隆されたが、後世に渡ると王がブッダと同様に崇めるように民衆に強要しはじめ、内側からも滅んでいった、と言う説もあるようだ。

 

300年、と言う歴史は、江戸とほぼ同じだ。

文明の継続は、中世における文明の継続は300年前後が限界なのだろうか。

 

 

 

3日目-象に乗る-

象に、乗った。人生で初めて、象に乗った。

 

でけぇ動物に乗ることって、よく考えるとそんなにない。

テレビではよく見るけど、自分が体験するって、意外とないもんなんだな、と象に乗って思った。

 

 

いつの間にか、テレビとか雑誌とかSNSでえた情報を、体験したかのように感じていた。

 

それがいいことか悪いことかわからないけど、人間は簡単に騙されたり過去が塗り変わったりするそうだから、自分で体験することで、どう思うかということにフォーカスしないといつのまにか自分が体験しなくてもした気になって生きてしまう、もしくは生きていけるのだ。

 

 

象に乗った感覚は、揺れる、高い、遅い、といったような一次感覚だった。

たぶん、その感覚は昔の人も同じ。

 

昔の人は、車に乗れないから、車に乗っても同じ感覚を味わうことはできない。

 

象であれば、同じかそれに似た感覚を味わうことができる。

 

 

アユタヤに住んでいた人々に、ちょっとでも近づけたのだろうか。

 

近づくことによって何かいいことがあるかわからないし、同じ感覚を味わえることなんて、何かの媒体を通している地点で人によって感覚は変わると言うこともあるしそもそもそれは異文化のみならず同じ土地に住む人、親でも感覚は違う。

だけど日本人ならではの感覚というか人との間合いとか言語体系というものは共有していると思うし、その言語体系の共有はどのように行えるかというと体験でのみだと思う。だからこそ、象に乗ったことでアユタヤの人と近づけたのだと思うけれども、それに意味があるかどうかはわからない。

 

ちいさくちいさく、積み重ねてく。それが遠くに連れてってくれるから。

 

 

3日目-アユタヤ。おれはすきだよ-

遺跡を回ったり、象にのったり、アユタヤでしかできない体験を、ちゃんとした。

だけど、一番の気づきは、その遺跡の周りに、人がちゃんと住んでるということ。

 

学校もあって小さい子も多かった。

 

生活と遺跡が一体になっている。それはもしかしたら奈良のようなものかもしれない。奈良に住んだことはないけど、1年に一回くらいは、あぁ歴史深いところに住んでいるんだ自分はというような感慨に老けることもあるだろう。

反対に、自分の家の近くにある名前もしらない神社のように、全く意識されていないかもしれない。

 

だけど、それがわるいわけではないし、あるのはただ、人の生活ということのみ。

異世界、は、実は誰かが作り出したもので、自分となんら変わんないし、自分と彼らの違いは、自分と近所の人たちの違いくらいでしかないこともある。

逆も然り。

 

 

移動距離が増えるということは、そのデータ数が増えることなのかもしれない。

 

 

急には大きく変わらない。花のように、少しずつ少しずつ咲いていく。栄養を与えていく。

 

 

3日目-バンコクに帰って、出会い-

アユタヤからバンコクに帰った。

 

行きしなはグラブを使ったが、帰りはグラブが捕まらず、電車で帰った。

 

わかったことは、あの距離なら電車の方がいいのではないか、という、今度アユタヤにいく人にしたい具体的なアドバイスと、グラブこそ至高、先端のテクノロジーこそ至高、というようなテック主義へのほんの小さな横槍。

 

結局は先端のテクノロジーさえ手段でしかない。

電車の方が広かったし早かったし安かった。

 

 

まぁそういうこともありつつ、電車の中で次の日のシミュレーションを一人で行ってた。友達は寝てた。

 

1日目の二の舞は絶対にしないと心に強く刻んでいた。

次の日は、バンコクからプーケットに向かう飛行機があった。

 

しかし、予定では朝早くから水上マーケットに向かい、そのあとメークロン市場へ、そのあと空港へ向かう、というようなめちゃくちゃ事故りそうな予定だった。

飛行機の出発は16時30分で、余裕がありそうな感じだが、移動時間を考えるとどう考えても時間が足りなかった。

 

大きな要因は荷物預け入れで、飛行機に荷物を預けるのにもお金がかかるらしい、とその時知った。

当日よりも前日にしていた方が安いということもその時に知った。だけど、事前の荷物預け入れをしようとすると、ライオンエアとエアアジアのゴミUIに翻弄されて、うかうかできないな、と思った次第なのだ。

 

 

だから、アユタヤに帰ってからは、ナイトマーケットに向かい、ゴーゴーバーでちょっと遊んで帰ろうと思ったが、友達に明日の予定の旨を話すと確かに必要そうだということでバンコクの駅で二人でしらべまくった。

 

 

わかったことは、事前預かりの予約がなぜかできないということ。

 

めちゃくちゃ不安になった。ライオンエアに当日荷物を預けようとすると、3万円近くかかったというような記事に出会ったからだ。

 

 

そんな状態でナイトマーケットを楽しめるはずがないと思い、二人でめちゃくちゃ調べた。けどわからないこともお送りあり、かなりストレスが溜まっていた。

 

 

21時過ぎまで、二時間近く調べていた。ペインは非常に深かったと思うよ。これがすんなり解決できるなら1万円は払うなと思った。

 

 

その時間になるとお腹が減ってきたので、その辺の店に入ることに。

 

 

そこで、初めて、日本人と出会った。女性二人組。年齢は23、4に見える。ぼくのナンパしセンサーが働いた。

可愛いなと思いながら、そうだいまおきてることを話して解決につながれば御の字だし繋がらなくてもどうせある一定の解まではちかづいてるからばんげでもしとくかという未来まで描けた。

 

しかも気さくなおばちゃん店員が気を聞かしてくれて、彼女たちも日本人だよ!と紹介してくれた。

 

そのまま同席し、めちゃくちゃ和んだ。

 

 

そして次の日、一緒にメークロンへいくことに決まった。

 

 

なんて素晴らしいんだ、人との出会いというものは。

 

 

 

人と出会うというのは、その数だけドラマが生まれるということ。

 

ドラマは予想ができなくて時にストレスになることだってある。だけど、そうじゃないことの方が多いと思ってる。おもしろいことの方が絶対に多い。だからぼくは人との出会いを大切にする。特に偶然の出会いにおいては。

 

 

次の日は、その女性二人組とメークロン市場へ出かけた。